「武道」とは
厳しい自己修練を課し
その奥義を極めることによって自己の人格形成
すなわち人間としての正しい道を極めることを目指すもの。
「正しい道」で検索するとこの
「大山倍達氏」が出てきます。
大山倍達座右の銘
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一、 武の道は礼に始まり礼に終わる。よって常に礼を正しくすべし
二、 武の道の深求は断崖をよじ登るがごとし、休むことなく精進すべし
三、 武の道においてはすべてに先手あり、しかれども私闘なし
四、 武の道においても金銭は貴いものなり、しかれども執着すべからず
五、 武の道は姿なり、何事においても常に姿を正しくすべし
六、 武の道においては千日を初心とし、万日の稽古をもって極みとす
七、 武の道における自己反省は、常に練達への機会なり
八、 武の道は宇のためにあるものなり、修練にて私心を忘れるべし
九、 武の道においては点を起とし、円を終とす線はこれに付随するものなり
十、 武の道において真の極意は体験にあり、よって体験を恐れるべからず
十一、武の道において信頼と感謝は常に豊かなる収穫を得ることを忘るべからず ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「大山倍達氏」とは
国際空手道連盟総裁・極真会館館長。
極真空手十段。
1970年代に週刊少年マガジンに連載された
『空手バカ一代』で主人公として取り上げられた空手家です。
大山氏は常々
「握り方3年。立ち方3年。突き方3年。9年やらないと空手の門には立てない」 と
言っていたそうで
晩年は
「自分の拳の握り方が本当に正しいのか?」と
自問していたそうです。
「正しい」とは間違っていないこと・・・
これは誰でも分かります。
ただ、
間違っていなければ良いということではないようで
道理にかなっていることを正しいというようです。
人生の四苦八苦は
欲の心から生まれます。
この欲は我欲といって
自分の願いだけがかなえば良い
というわがままな心のことです。
この我欲から脱却するには
八つの道がある、と
お釈迦様は説いています。
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一つは「正見(しょうけん)」といって、正しく物事をみることである。
二つは「正思惟(しょうしい)」といって、正しい考え方をすることである。
三つは「正語(しょうご)」といって、正しいことばを使うことである。
四つは「正業(しょうごう)」といって、正しい行いをすることである。
五つは「正命(しょうみょう)」といって、正しい生活をすることである。
六つは「正精進(しょうしょうじん)」といって、正しく努め励むことである。
七つは「正念(しょうねん)」といって、正しく物事を記憶して、正しい信念を持つことである。
八つは「正定(しょうじょう)」といって、正しく、おちついた心を持つことである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これらが「八正道(はっしょうどう)」といって
八つの正しい道を行く方法だと言います。
そして
これを実行することが
欲を離れて心豊かに
幸せな生活(悟りの世界)を送る道なんだそうです。
この世の中は
何が正しくて
何が間違いなのかを見きわめることが難しいです.
昔、中国に道林禅師という高僧がいました。
白楽天という有名な学者が
あるとき禅師を訪ねて
「仏教の真髄とは何でしょうか」とたずねると
禅師は
「間違ったことをせず、正しいことをせよ」と答えたそうです。
白楽天は
「そんなことは三歳の子どもでも知っている」といって
憤然として帰ったのですが
しかしその後白楽天は
それは三歳の子どもでも知っていることだが
六十歳になってもできないことなのだ・・・と悟ったといいます。
今日は
正しい道について綴ってみました。
これの話は人から聴いて学んだコト。
このように自身で書き残すと
一層ココロに残ります。
これから
どのように実践していくのか。
連休中日の平日。
なんだか変な感覚ですね。
まるで月曜みたいな。。。
清水は雨が降り始めました。
明日の天気はいかがでしょうか?
今日もありがとうございます