平成の太子講
月読神社で執り行われました。
全国より多くの方々がお越しになりました。
ここで
月読神社 神職 神山様のお話です。
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聖徳太子の文献は残っていないのですが
聖徳太子が月の尊(みこと)を崇敬されていました。
ここ月読神社はその名のごとく月の神様です。
宇宙の霊力を神格化した神様とも言えます。
もともとは、暦を司る神様でした。
太陽信仰となり、天照大御神が中心ではありますが
もっと古い時代は、月の信仰が中心でした。
松尾大社 西暦701年に社殿が建立
月読神社 西暦487年に神社ができました。
一番古いお社です。
その根拠は 日本書紀 顕宗天皇 三年春二月の上に一文があります。
日本書紀にみえる豪族 「阿閉事代 (あえの ことしろ)」が
月神と日神の託宣(たくせん)を朝廷につたえる。
朝廷は託宣にしたがい
月神に山背(やましろ)(京都府)の歌荒樔田(うたあらすだ)を
日神に大和(奈良県)の磐余田(いわれだ)をたてまつったそうです。
神社のできるきっかけの多くは
神様の託宣だそうです。
さて、歌荒樔田(うたあらすだ)とは
現在の(嵐山)地のようです。
ここにお祀りしなさいとのこと。
この月読神社が当時どこにあったかは定かではありません。
一説には、春日川東側 桂上野や西七条北に月読町があり
どちらかと言われます。
784年に社殿ができました。
壱岐の島の神様をわけぎ玉としてお祀りしたのが始まりのようです。
その後、桂川の度重なる洪水に何度も流されて
856年 この場所に移動しました。
壱岐の島の神職がお祀り、壱岐のせいを名乗ります。
その後、松室と性を変えて明治まで名乗りました。
現在、松尾大社敷地内になるので
摂社 月読神社となりました。
明治から松尾大社の神職がこちらを管理しています。
私も、10年住んでいます。
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この由緒ある神社で
心を清めて、講堂へ向かいます。
いよいよ太子講。
滋賀県では、過去帳も存在しています。
今日、ここから未来の子ども達へ新しい過去帳が繋がっていきます。
そうです。スタートを切ります。
先人から繋がる心を
未来へしっかりと繋いでいかなければなりません。
その中心は大工棟梁です。
若手の大工棟梁とともに。
今日もありがとうございます