<はじめての町> 茨木のり子
はじめての町に入ってゆくとき
わたしの心はかすかにときめく
そば屋があって
寿司屋があって
デニムのズボンがぶらさがり
砂ぼこりがあって
自転車がのりすてられてあって
変わりばえしない町
それでもわたしは十分ときめく
見なれぬ山が迫っていて
見なれぬ川が流れていて
いくつかの伝説が眠っている
わたしはすぐに見つけてしまう
その町のほくろを
その町の秘密を
その町の悲鳴を
はじめての町に入ってゆくとき
わたしはポケットに手を入れて
風来坊のように歩く
たとえ用事でやってきてもさ
お天気の日なら
町の空には
きれいないろの淡い風船が漂う
その町の人たちは気づかないけれど
はじめてやってきたわたしにはよく見える
なぜって あれは
その町に生まれ
その町に育ち
けれど
遠くで死ななければならなかった者たちの魂なのだ
そそくさと流れていったのは
遠くに嫁いだ女のひとりが
ふるさとをなつかしむあまり
遊びにやってきたのだ
魂だけで うかうかと
そうしてわたしは好きになる
日本のささやかな町たちを
水のきれいな町
ちゃちな町
とろろ汁のおいしい町
がんこな町
雪深い町
菜の花にかこまれた町
目をつりあげた町
海のみえる町
男どものいばる町
女たちのはりきる町